体感の凝視、観察
感情は常に、行き場を探している。
私たちは、外側で起きる中立でニュートラルな「できごと」に、その「感情」を勝手にくっつけて、「体感」を起こして「反応(行動)」する。
例えば、
できごと→子どもがぐずって味噌汁をぶちまかす。
感情→腹立つ!(を、そこにくっつける)
反応(行動)→「なんでそういうことするの!」と怒鳴る
体感→もやもやドキドキ・・が続く
など。
できごと、感情、反応、は、ほぼ瞬時に、しかも自動的に起こるので、私たちはそれをセットだと思って何年も(何千年も?)生きてきたし、苦しんできた。
でも実は違ーう!
感情と外側のできごとは別モノだったのだ…さぁ気づいてしまいましたね。
そこに気づき出すと、「反応」しなくなってくる。
「反応」がなくなると、「感情」の出番が少なくなってくる。
こぼれた味噌汁を淡々と拭いて、子どものグズりがおさまるのを、穏やかな気持でじっ…と待てるようになる。
そうすると、子どものグズりが早めにおさまるようになる。こちらからの負の感情のエサがないからだ。数分もしないうちに、その場がまた穏やかになる。
肝心なことは「感情」の流れに溺れず、また、「できごと」そのものにフォーカスせず、「体感」をただひたすら、見つめて感じること。ほほう、この入れ物(自分の体)はこういうことにこんな体感を持つんだなぁとか、めちゃ凝視して、観察して、そのものを味わい尽くすのです。これって、人間だからこそできるワザだしね!観察に集中してるので、「反応」をしなくなる。
これも地道な訓練で、慣れてくると、夢の中でまでこの訓練をしてるよ…。
訓練といっても、腹筋1日10分とかよりだいぶラクなのです。